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February 27, 2005

映画でのクラシック音楽の「無断引用(?)」

先日のブログにも記したが、映画「トロイ(2004年・米)」を見て一点気になったことがあった。それはその中で流れていた曲があるクラシック音楽から引用してきたとしか思えないのである。戦闘のシーンなどで流れていた音楽の一フレーズは、20世紀ソ連の作曲家ショスタコーヴィチの有名な交響曲第5番ニ短調Op.47「革命」の第一楽章とほとんど同じである。これに気が付いた人は果たしてどれ位いるのだろうか。

これで思い出したのがやはり映画の名作「ライトスタッフ(1983年・米)」のテーマ音楽である。これは一フレーズに限らずメインテーマ自体が、チャイコフスキー作曲バイオリン協奏曲ニ長調Op.35の第一楽章をもとに作ったとしか思えない程似ている。映画では丁度「第一主題の変奏曲、しかもコーダ」然として壮大に盛り上げてくれる。この類似性に気が付いている人は多いが、テロップには無いも出ないようなので、公式にはこの映画の音楽担当が作曲したことになるのだろう。いやこの音楽担当者はチャイコフスキーのあの美しいフレーズを念頭にして作曲したに違いない(確信犯か?)。映画の内容は米ソ冷戦時代の宇宙開発競争を生きた、優れた資質「Right Stuff」を持つアメリカの男達のヒューマンドラマだが、そのテーマが敵国に関係あるロシアの主題をモチーフにしていると言うのは面白い。でもこの曲はサウンドトラックあるいはDVDでも買ってもう一度聞きたいくらい良く出来た曲であることは確かだ。

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February 24, 2005

レーニンをミイラにした男

タイトルの本(文春文庫)を読み終えた。

こ存知の方も多いように、レーニンの遺体は火葬にも土葬にもされることなく、今もまだモスクワの赤の広場にあるレーニン廟に安置されている。特殊な防腐処理によって生前の顔かたち・色が保たれている稀有な例だ。この本の作者はその保存に関わってきた化学者によるものである。

どうすれば腐らずに保存できるかと言うと、体内では大動脈にグリセリン、ホルマリンといった液を流し込み、体全体をアルコール、ホルマリン等の物質による「バルサム液」というものに浸して乾燥を防ぐ。シワやシミは酢酸と水を混合させて漂白させる(?)などという具合だ。このようなことが可能であると言うことがまず驚きであった。

更にこの処理自体は「政治色」が非常に強く、レーニンの後は社会主義国の独裁者(ブルガリア首相ディミトロフ、モンゴル大統領チョイバルサン、ホー・チミン他)を中心に個人崇拝の対象となるような人にばかり施された。ところが時代が変わって今でも保存・公開されているのはレーニンだけのようだ。やはり生前の姿のままに保存すると言うのは、代の東西を問わず誰にとっても不自然なのであろう。この科学技術も20世紀の遺物になるのか。

またこれを進めていた「レーニン廟付属研究所」はソ連崩壊で資金が厳しくなると、ロシアン・マフィアを主な顧客にした死体保存ビジネスを展開したと言うのも笑える。マフィアは暗殺される事が多く、葬儀の時まででも銃痕をきれいに直したりするのにそれまでのノウハウが非常に役立ったようだ。金払いも良かったのだろう。

政治と言えばスターリンの恐怖政治は、彼等にも例外なく影響を与えた。ユダヤ人ということでその父親が逮捕され自らも職を失ったり、旧知の共産党幹部(ルイコフ、ブハーリン)の粛清裁判を見届けたり、筆者はとにかく大変な時代を生き抜いたのだった。こういう人の書物にはいつもその重みが感じられる。

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February 22, 2005

映画「トロイ」

タイトルの映画をビデオ(日本語字幕)で見た。

これは約3000年前にギリシャとトロイとの間に起こったトロイ戦争を題材にした映画。紀元前の史実をベースにした映画としては最近公開された「アレキサンダー」もそうだが、この「アレクサンダー」はかなり史実にかなり忠実なようである。一方「トロイ」は更に時代が数百年以上も遡って史実がハッキリせず、ホメロスの叙事詩「イーリアス」がその原典になっているので、かなり「融通が効く」ということが理解できた。つまりこの映画では今まで聞いていた話とは違う展開がアリアリなのである。

例えばオラニエ公の記憶では、というか「イーリアス」の物語では戦いは10年単位で続いたとされている。難攻不落の要塞がようやく木馬のトリックで陥落したはずである。ところがこの現代版「トロイ戦争」はわずか半月ぐらいで決着が付いている。しかもそのうちの12日間は服喪による休戦期間だ。

アガメムノン、メネラオスの兄弟の話も違っている。まず弟のメネラオスはヘクトルの手に掛かって死ぬと言う話は聞いたことが無い。また兄アガメムノンはトロイ征服の凱旋帰国を果たするものの、留守中に密通をしていた王妃の相手によって殺されるはずなので、トロイの神殿であえなく死ぬというのも初めての話だった。

つまりこの映画は「愛のための戦い」あるいは「戦士としての名誉と誇り」といった現代にも通じるヒューマンなテーマを歴史物語の中に訴えるもので、その題材としてトロイ戦争、演技者としてブラッド・ピットを主役に持ってきたということである。当たり前と言えばそれまでだが、史実を追いかけながら見ていると途中で「あれ?」ということになるのでご用心。

アキレス役のブラッド・ピットよりも、トロイの王子へクトル役の人(エリック・バナ)の方が、より名誉を重んじるギリシャ戦士として好演していた。「木馬」のところ以降が意外とあっさり進んでしまったが、2時間40分を越える大作としては前の日に見た「JFK」よりも見ごたえがあって印象に強く残った。

ロケ地として昨年の夏に旅行したマルタ島が使われていたようだが、どこがそうだかはハッキリとは分からなかった。確かにあの島には石造りの要塞や建物が沢山あったので、地中海性の気候といいトロイのロケには適していたのだろう。

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February 19, 2005

映画「JFK」

ケネディはなぜ暗殺されたか」を読み終えたので、それと非常に関わりのあるこの有名なオリヴァー・ストーンの映画をビデオで見てみた。

まずとにかく長い映画である。188分ということは3時間以上も掛かる訳である。前半部分は色々と細かい歴史的事実が次々と出てくるので、勉強不足の人には辛いところである。オラニエ公も睡魔に襲われたが、辛うじて関連本を読んでいたので追いつくことが出来た。

後半の起訴から裁判への展開になってようやくストーリーが盛り上がってきた感じだ。クレイ・ショーなる人物を謀略の一味として起訴しようとしたのだが、この名前は読んだ本には出て来ていない。一体何者なのだろうか。暗殺の実写シーンや「疑惑の銃弾」の説明で、公式な調査(ウォーレン委員会)によるオズワルド単独犯行説を覆すところは見応えがあった。しかし裁判と言う観点からは状況証拠を並べているだけで迫力が無い。と思っていたら、案の定陪審員は無罪の評決を下して映画は終わった。

ジム・ギャリソン検事としては「失敗」した訳だが、この映画の真意は裁判に勝つことではない。オリバー・ストーンはギャリソン検事の口を借りて、アメリカ社会の暗部に潜んだ恥ずべき問題を明らかにしたかったのだと思う。その意を受けたケビン・コスナーの陪審員を前にした熱弁は、まさに迫真の演技であった。

マフィアの加担を余り強調しなかったのは、やはり監督が自分の身の不安を感じての事か?FBI、CIAと軍産複合体の狂信がマフィアや警察等をも巻き込んだ共同謀議(Conspiracy)が、この「クーデター」を成功させたと言う。本当のことは2039年に機密書類が公開されても闇の中のままかもしれない。


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February 18, 2005

ケネディはなぜ暗殺されたか

タイトルの本(NHKブックス)を読み終えた。

ケネディ大統領の暗殺は、20世紀の謎の一つとして真相は未だに闇の中にある。この事件はオラニエ公が生まれる前の話で、印象に残っているのはオリバー・ストーン監督の映画「JFK」のケビン・コスナー演じる検事の熱演と、フィルムに撮られた生々しいケネディ大統領の撃たれたシーンである。この本はそんなおぼろげな印象を事実に基づいた具体像で置き換えてくれた。

まず理解できたのは、ケネディ大統領は暗殺されるべくして暗殺されたことである。当時のアメリカ社会の中でケネディ政権の支持率は高かったが、その一方で過激な分子を中心に不満は最高点に達していた。とりわけ次のグループはケネディを「裏切り者」として邪魔に思っていた。彼等は特に手ごわい連中ばかりで、これらが束になって掛かって来てはアメリカ大統領と言えども命は保障されなかった。
(1) 亡命キューバ人グループ (大統領の反カストロの政策の生温さに反対)
(2) 全米のマフィア組織 (ロバート・ケネディ司法長官のマフィア撲滅作戦に激怒)
(3) CIA、FBIの一部保守派 (反カストロ活動、ベトナム積極介入等を強引に進めたいが大統領の反対に遭う)
更にはこれにダラス市警察、大統領シークレットサービスの一部(?)などが加わった陰謀によって、ケネディは1963年11月22日にダラスで銃弾に斃れた。もしそこで失敗しても、近いうちにまた狙われていたことも確かである。とにかく厄介な敵が多すぎたのだ。

またアメリカ人の理想ともされているケネディが、実はそれ程身の回りはきれいな人間ではなかったということには驚いた。彼の父はマフィアめいた事をしていたし、彼自身選挙の際にイリノイ州でのマフィアによる不正がなければニクソンに敗れていたと言われる。またジャクリーヌ夫人との絵に書いたような円満な家庭はうわべだけで、実際には浮気もほとんど公然と行なわれ(マリリン・モンローも)、しかもマフィアに繋がるような女性とも付き合っていた。そうした中で理想に燃えた弟ロバートが、反麻薬・反マフィアの取締りを厳しくしたものだからその手の筋からの反発は大きかった。上記の不平不満グループの中では、マフィアが最も直接的に手を下したであろうことが推測される。

とても不思議だったのは、最高権力者の暗殺という大事件にも関わらず、その原因については全てが真実から遠ざけるように力が働いていたことである。調査委員会の「ウォーレン委員会」は政界や司法界の蒼蒼たる面々で構成されたにもかかわらず、「史上最大の身代わり」といわれたオズワルドの単独犯行、という当局に最も都合の良い結論につながらないものは全て無視した。しかもその無視した理由は理不尽なものばかり。大統領暗殺の真相究明よりも、各利益団体やマフィアの地位や利権、金儲けが第一義に考えられた。しかもそのインチキに最も熱心だったのがFBIとCIAであり、特にFBIの息の掛かったフォード委員(後の大統領)がその先兵だったというのは驚くしかない。

また暗殺犯とされたオズワルドにはFBIのエージェントだったらしい経歴があり、彼を銃殺したジャック・ルービーもFBIやマフィアとの繋がりが見え隠れする。更にはCIAが一枚も二枚も咬んでいるようだ。彼らは自分の意志に関わらず、周りから「役者」としてアサインされてしまったのであろう。治安を守ることを主な任務としている組織(FBI、CIA)は何故かその逆の方向に強力に向いてしまった。

「利益を共にする過激な組織の複合体による謀殺」というものが民主国家でほぼ完全犯罪のように成し遂げられ、真相究明も闇の中に葬られるべくして消える。こういうことが現代でも起こりうることの驚きと恐れを十分に感じさせる一冊だった。

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February 15, 2005

「ドレミの歌」 サウンド・オブ・ミュージック

オラニエ夫人が買ってきた「サウンド・オブ・ミュージック」のDVD(英語版:英語字幕)を見た。何回見ても心温まるストーリーで、歌もそれぞれに印象深い。やはりその中ではみんなで歌う「ドレミの歌」が一番のお気に入りだ。

この原曲と日本語訳を比べてみるのも面白い。

<原曲と直訳>
Do= "Doe", a deer, a female deer 「ドゥ」は雌鹿
Re= "Ray", a drop of golden sun 「レィ」は黄金の太陽の光
Mi= "Me", a name I call myself 「ミ」は自分の呼び名
Fa= "Far", a long long way to run 「ファ」は走る長い道のり
So= "Sew", a needle pulling thread 「ソォ」は糸を針で引くこと
La= "La", a note to follow sew 「ラ」はソの次の音
Ci= "Tea", a drink with jam and bread 「ティ」はジャムとパンと一緒に飲むもの
That will bring us back to doe そしてまた「ドゥ」に戻る

<解説>
「ドゥ」はDeerのDではなくDoeという単語がある。
「レィ」はX-Rayつまりエックス線のRayのこと。
「ラ」には適当な言葉がなかったのでしょう。そこでしょうがなく「ソ」の次の音よ、って感じでマリアは歌っている。
「シ」は何故か「ティ」と発音されている。

日本語訳は何とペギー葉山さんが作詞されたそうである。オラニエ夫人がアメリカ人の友人に「ドーナッツ」だの「レモン」と説明したら大うけしたとのこと。

「Re」は「R」で始まるのに「レモン」、つまり「L」から始まっている。さすが日本式英語。
「Fa」の「Fight」って掛け声だが、「戦い!」とも響く、こんなこと欧米人が言うのか?
「La」のラッパはフランス語の「Rappel」がなまったそうなので、こちらも「R」と「L」が逆である。
更には「どんなときにも、列を組んで...」という2番の歌詞は完全に日本語オリジナル。サウンド・オブ・ミュージックでは同じ歌詞を繰り返している。

元々即興で歌ったもののせいか、原曲にも日本語訳にも特に一貫性がないのが特徴と言える。まあみんなで歌って楽しめればそれで良い訳である。さあ歌ってみよう。。。

去年この映画の舞台ザルツブルクに行ったときのザルツブルグの写真を添付しておく。映画とは違ってどんよりとした天気だった。
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February 13, 2005

ビゼー 歌劇「カルメン」

デュッセルドルフにあるライン・ドイツ歌劇場(Deutsche Oper am Rhein)に行って見てきた。
オペラはヨーロッパに来てから見るようになったので、まだ10回も生の演奏は見たことがなく、オペラの代表作である「カルメン」でさえも今回が初めての経験だ。47.50ユーロ(約6,000円)の真ん中くらいのランクの席では日本で観ることを思えば安いもので、アリーナを取り巻く3階席のほぼ中央、舞台が良く見える位置だった。

「カルメン」というオペラ
初めて「カルメン」を見て感じたのは、今まで見てきたワーグナーやヴェルディのオペラとは性質が違うということだ。この2人の巨匠の作品は、歴史的な物語や神話を題材にした崇高な愛をモチーフにしたグランド・オペラというか壮大なスケールのものが多い。その一方でこの「カルメン」は歌劇というより「お芝居」あるいは「ミュージカル」の色合いが濃い。元々「せりふ」と歌の組み合わせだったものを、作曲者の死後にせりふをレチタティーヴォに直した版が広まったと言う。驚くべきことに主役のカルメンでさえも歌い聞かせるアリアがほとんど一曲もない。その一方でジプシー系の踊りの場面や沢山の子供たちの一生懸命な歌や踊りが印象的で、より芝居・ミュージカル的に感じさせる。ビゼーはフランスの作曲家で、ドイツのワーグナーやイタリアのヴェルディとは違う世界を展開しようとしていたのであろう。パリで時代を先取りしていたのかもしれない。これらを全て同じ「オペラ」という枠組みの中で比較するのは難しいと言うか失礼という感じだ。

ライン・ドイツ歌劇場
このオペラ座はデュッセルドルフとデュイスブルクという二つの町の合同オペラ座で、公演もその2箇所で行なわれている。今回聞いたのは2回目で、レベルとしてはまあ「おらが街のオペラ座」という感じか。まずオーケストラは日本のアマチュア・オーケストラの上位相当で、楽器の響き全体があまり厚みのない演奏になっている。技量の方も今ひとつで、例えば前奏曲の「後打ち」もあまり合っていなかったし、ソロも心もとない。歌の方もドン・ホセとミカエラはまあ及第点だが、肝心のカルメンはあまり声が出ていなくて力不足か。またエスカミーリョも今ひとつ。(この役って実は出番が極端に少ないんですね。) 幕間で幕が完全に下りる前に死人役の人が動き出しちゃったりするのも素人芝居っていう感じだ。その中で子供たちの合唱と演技は光っていた。昨年末に聞いたウィーン国立歌劇場と比較するのは酷だけれど、ドイツの一地方を代表するオペラ座ならば、やはり「おらが町のオペラ座」から有名になったドレスデンやミュンヘンのレベルを目指して頑張って欲しい。

題目カルメン (Carmen)
作曲者ジョルジュ・ビゼー
主な配役カルメン:Kammersängerin Marta Marquez
ドン・ホセ:Sergej Khomov
エスカミーリョ:Heikki Kilpeläinen
ミカエラ:Victoria Safronova
指揮者・オーケストラBaldo Podic指揮 デュッセルドルフ交響楽団
ライン・ドイツ歌劇場合唱団
場所ライン・ドイツ歌劇場 (デュッセルドルフ)
日時2005年 2月12日(土) 19:30-

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February 12, 2005

シューベルト 交響曲第7番ハ長調「ザ・グレイト」

最近この曲が「マイ・ブーム」である。

クラシック音楽を聴き始めてからもう30年にもなるが、特にメジャーな曲でも意外と知らないものがまだある。そのためあまり縁のない歌曲や室内楽の分野はさておき、もっぱら聴いているオーケストラの分野でも偶に新鮮な発見があったりする。今回はこの「ザ・グレイト」がそれだ。

昨年末にスペインを旅行中に偶々聞いていたFM局から何故か心を打つメロディーが流れてきた。曲名は分からないがロマン派風の緩やかな緩楽章は、最初はメンデルスゾーンを思わせた。ところが次に聞こえてきたスケルツォの出だしで「ザ・グレイト」と判明。そのメロディーは知っていたが、トリオの部分がまさに「グレート」に響き、更にフィナーレの雄大さも強く心に残った。

早速訪問先のグラナダの街でCDを買って帰国後に聴いてみた。ギュンター・ヴァント指揮ベルリン・フィルのライブ録音だ。この曲はシューベルトがその死の年(1828年)に書き上げたとのことだが、「歌曲王」である彼らしく純粋な「歌」が随所に聞こえてくる。これは主題を強力に提示するベートーヴェンや、民族色がそれとなく感じられるドヴォルジャークとは違った感じだ。また「未完成交響曲」の静的で荘重なイメージとは対称的な雄大で歓喜に溢れんばかりの躍動感は、シューベルトの音楽家としての広がりを感じさせてくれる。第二楽章以降「これでもか」とズンズン押してきて(かといってしつこいわけでない。)、最後のフィナーレ(何故かシベリウスの「カレリア組曲」に似ている。真似られたか?)でその高揚は頂点に達する。うーむ、何回聴いても良い曲だ。

オラニエ公はどちらかというと短調志向で、今までチャイコフスキーやドヴォルジャーク等に傾注するきらいがあり、シューベルトの長調の交響曲は一種のエア・ポケットに入っていた感じがする。本当に嬉しい「出会い」だ。今度はどこかの演奏会でこの曲を聴いてみたい。

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February 08, 2005

物語 バルト三国の歴史

タイトルの本(中公新書)を読み終えた。

この本は現在EUの新規加盟国として注目されているバルト三国の歴史を一通り読み易く紹介している。この手の新書での歴史本では「クセジュ文庫」がよくあるが、このシリーズはフランス語を訳したものらしく、どうも読んでいて面白くない。その点この中公新書は「物語」というだけあって親切である。

特に最も興味深かったのは、常に三つ子のようにまとめて考えられている三国の歴史は「エストニア・ラトビア」と「リトアニア」では大きく異なっていることだ。前者二国は第一次大戦前には国家としてまとまった歴史が無く、ドイツ騎士団の流れを汲むドイツ人の影響を受け商工業もある程度発達していた。一方リトアニアは中世に大国として台頭し、ポーランドと常に密接な協調・対立関係にあり、産業としては農業中心の地域だった。また民族的には「ラトヴィア・リトアニア」はバルト系だが、「エストニア」はフィンランドに近いアジア系の流れを持つ。決して三国は「三つ子」ではなく、「三国」としてまとめて考られるのはつい最近になってからだということだ。

エストニア、ラトヴィアの地域は政治的には中世以降スウェーデン、デンマーク、そしてロシアの勢力下にあり、そこでは入植したドイツ人(バルト・ドイツ人)が貴族として大農場を経営し、政治的にも大きな力を持っていた。しかしこのドイツ人もロシア革命や第二次大戦時の混乱の中で多くは出国、亡命あるいは財産没収、流刑などの過酷な運命を余儀なくされた。国が生まれたり、国境線が引き直されたりというのは2つの大戦があった20世紀に最も頻繁に起こったが、その都度どこでも今で言う「民族浄化」のようなことが起きていたはずである。例えば「東プロイセン」という第二次大戦前のドイツの領土は、今はポーランド、ロシア、リトアニアに引き継がれ、そこに百万人単位で住んでいたドイツ人は今はもう跡形もない。偶々大国の思惑や戦争による「引き直し」の時期に居合わせてしまった犠牲者の苦労は計り知れないものがあったろう。身近な所では「北方領土」を追われた日本人もそうか。大きな勢力の中で翻弄され続けた人々の犠牲を十分に改めて感じさせられた一冊だった。

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February 05, 2005

クラリネットを吹く

オラニエ公は高校・大学と吹奏楽の団体に入ってクラリネットを吹いていた。社会人になってからは結婚式の2次会バンドぐらいしか演奏の機会も無く、それも10年近く前に終了。ここオランダに来るときに、ひょっとしたら現地のバンドに入るかも、なんて思って持ってきたのだが、一度も吹かないまま数年間放置されていた。

先日ドイツの街アーヘンを訪れた際に大きな楽器屋を発見して、そこでふとクラリネットのことを思い出した。そうか久し振りに吹いてみるか。ただそのために必要なリード(クラリネットの音を出す葦の薄い板状のもの)がいるので、店員さんに聞いてみた。

オラニエ公:「リードはありますか?」
店員さん :「あるけれども、ドイツ式あるいはボエム式?」
オラニエ公:「ボエム式。」
店員さん :「メーカーはどこのが良いの?」
オラニエ公:「バンドレン(メーカー名)はありますか?」
店員さん :「ありますよ。」

店員さんは年配の女性でもちろんドイツ語しか喋らなかったが、会話が何とか成り立った。聞かれて思い出したが、クラリネットにはアルバート式(ドイツ)とボエム式(フランス)があって、キーの配列が全く違う。それからリードメーカー名もバンドレンというところが有名だったが、今でも健在らしい。久々にこんな会話が出来て、元ブラバンとしてなんだかとても嬉しくなった。

家に帰ってから一度吹こうと思い、5年ぶりぐらいにクラリネットのケースを開けた。しかしこの愛器は可愛そうなことにキーは一回押さえると元に戻らない、ジョイント部分の金属製のリングは接着剤が乾き切って全て外れてしまうなどの惨状だった。学生の頃に25万円も出して買ったビュッフェ・クランポンなのにこれではあまりに可愛そう。一応音は出るが、今度一度オーバーホールに出してみよう。そうすればもっとやる気が出て、家でも吹く機会も増えるだろう。


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February 01, 2005

アウシュビッツ解放60周年

先週は1945年にアウシュビッツ強制収容所が解放されてから丁度60年ということで記念式典が行なわれていた。会場にはアウシュビッツを初めとするいわゆる「絶滅収容所」で運良く生き永らえた人たちが多数参列していた。この人たちの年齢などを考えて、10年毎の大きな式典は今回が最後になるという。

アウシュビッツは東部戦線に位置していたので、結果としてソ連軍が解放した。そのため今回もロシアのプーチン大統領がキーメンバーとして参加していた。当時のソ連には何千もの「強制収容所」があった。そこは「絶滅収容所」のように民族の抹殺を狙ったものでないとしても、無実の囚人が過酷な労働をさせられ何百万人という人が命を落としていた。それでいてソ連は「解放者」として遇されるのだから、何だか「ミイラ取りがミイラ」のようでしっくり来ない。

それからこの手の話で不思議に感じるのは、加害者側の証言がほとんど出てこないことである。例えば「アウシュビッツでガス室の管理をしていました」、「囚人の護送と懲罰を担当していました、」というような人は何十人いや何百人もいた筈である。もちろん彼らは上から言われた通りに仕事をしていただけだろうが、その証言で戦犯になってしまうので敢えて真実を話そうとする人は少ないのだろう。それでもそれを承知で本当にあったことを勇気を持って話す人がいても良いような気がする。結局歴史の記録が曖昧になって、一部の誇張や誤った認識がまかり通ってしまう恐れがあるのだ。

まあ「真実を明らかにする事が一番正しい」というのが、必ずしも最も受け容れられる考え方とは限らないのが世の常である。過去からはやはり教訓を出すことがまず一番であると思う。

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