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March 07, 2005

ドヴォルザーク 交響曲第7番

前の晩の「マタイ受難曲」に引き続き、昨夜はロッテルダムで「マイ・ブーム」のドヴォ7(こういう言い方ってあり?)を聴きに行ってきた。


日時: 2005年3月5日(土) 19:30~21:45
曲目: ムソルグスキー:交響詩「禿山の一夜」、ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第1番
ドヴォルザーク 交響曲第7番ニ短調
演奏: Het Gelders Orkest、独奏: Igor Roma (ピアノ)、指揮: Nikolai Alexeev
場所: de Doelen Concertgebouw (Rotterdam)

この曲は昨年来オラニエ公の特にお気に入りの一つで、演奏会に足を運んだのもこれが3度目になる。ドヴォルザークの交響曲といえば、まずは第9番「新世界から」、それに第8番「イギリス」が有名だが、個人的にはこの第7番が一番だ。東欧のスラブ系のメロディが好きなオラニエ公としては、特に第2楽章のボヘミアの農村を想わせる歌、弦の刻みが厳しくも心地よく響くスケルツォ、そして壮大なフィナーレへと続く流れには唸らされてしまう。第8番や第9番に比べて、より「ボヘミアの音楽」で国民楽派の面目躍如という感じがする。昨年一月にわざわざプラハまで出掛けてドヴォルザークホールにおいてチェコ・フィルの演奏で聞いたときは、思わず背筋にゾクゾクと寒気が走ったのを覚えている。

CDで言えばヴァーツラフ・ターリッヒ指揮チェコ・フィルの1938年盤がお薦めだ。当時は第二次世界大戦直前のナチス・ドイツの侵略が始まった頃で、チェコスロバキアはまさに存亡の危機にあった。英仏がチェコスロバキアを見捨てた「ミュンヘン会議」がこの年の9月にあり、翌年にこの国は完全にナチス・ドイツの支配下に入って消滅してしまったのだ。こうした背景もあり、このターリッヒの第7番は悲壮なまでのエネルギーに満ち溢れている。これは1940年のメンゲルベルク指揮アムステルダム・コンセルトヘボウの「マタイ受難曲」に通じるものがある。これもまたナチス・ドイツ侵攻直前で、観客からの「すすり泣き」が聞こえるとも言われる伝説のライブである。やはり音楽もまた時代の産物で、これらの演奏を今日再現しろといってもまず無理だろう。

昨夜の演奏はHet Gelders Orkestというオランダの地方都市アルンヘム(Arnhem)を拠点にしたオーケストラで、当然チェコ・フィルとは比べる話ではない。管と弦の受け渡しがぎこちなかったり、ピアノ(弱い)部分で粗さが見え隠れしていたが、予想以上の健闘を見せてくれた。「マイ・ブーム」はまだ続きそうだ。さて次はどこを聴きに行こうかな。

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March 05, 2005

マタイ受難曲

そろそろイースター(復活祭)の季節で、この時期になるバッハの「マタイ受難曲」の公演があちこちで行なわれる。日本の年末の「第九」のようなものか。20年振りの大雪と寒波の中、アムステルダムのWaalse Kerkという教会で「マタイ受難曲」のコンサートを聴きに行った。今回オラニエ公としては特にコンサートホールではなく教会での公演がどういうものか聞きたかった。というのもバッハは1723年に38歳でライプチヒのトーマス教会の合唱長になり、終生教会がその活動の場であった。「マタイ」は1727年にそのトーマス教会で初演されている。つまりは元々は教会で聞く音楽だったのだ。


日時: 2005年3月4日(金) 19:00~22:30
曲目: J.S. バッハ(Bach)作曲 マタイ受難曲(Matthäus Passion) BMW.244
独唱: Marcel Reijans (エヴァンジェリスト)、Wiard Witholt (イエス)
演奏: Orhcestra and choir of the Conservatorium van Amsterdam
指揮: Hein Meens,
場所: Waalse Kerk (Amsterdam)

演奏は「Conservatorium van Amsterdam」つまりアムステルダム音楽院の学生によるオーケストラと合唱だった。小規模な管弦楽と、合唱団は各声部2名x4パートx2グループ+アルファで合計20名弱。独唱者はエバンジェリスト(福音伝道者)とイエス以外は合唱団から輪番という設定が面白かった。教育上ソロをみんなに歌わせるというのが宜しいのだろう。個々の演奏の技量についてはまだ学生なので(?)とりわけ上手いという訳ではなかったが、教会のホールにこだまする「マタイ」は天にも昇るような独特な趣があり(特に「コラール」)、3時間と言う演奏時間の長さを感じさせなかった。特にしんしんと雪が降り続ける中での演奏、というのが神聖な雰囲気を盛り上げていたのかもしれない。

聴く方は厳寒の中約200名程で、客席というか教会の信者席は7割方埋まった。バロック音楽のある意味で重たい内容のコンサートに若い人も含めてこれだけ集まるということで、改めてヨーロッパの音楽文化の懐の深さというか定着度を強く感じさせられた。

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March 02, 2005

Beverly Hills, 90210

第77回アカデミー賞の主演女優賞は、『MILLION DOLLAR BABY(ミリオンダラー・ベイビー)』 に主演したヒラリー・スワンクが受賞、というニュースを見てふとこの名前に覚えがあることに気が付いた。ハリウッド映画のスターは本当に有名な人以外は知らないのだが、何故かこの人は知っていると思って、遠い記憶を呼び覚ましてみた。そうだ彼女は『Beverly Hills, 90210(ビバリーヒルズ青春白書)』のレギュラーとして一時出演していた人だ。ネットでチェックしたところ、シングルマザー役でスティーブの相手役(カーリー・レイノルズ)として1997-98年に出ていたことが確認できた。

『Beverly Hills, 90210(ビバリーヒルズ高校白書・青春白書)』には相当ハマった時期があった。出演者の年齢設定は約10年位彼等が若かったけれども、アメリカの文化・社会の勉強にもなったし、日本のドラマには無い明快かつ素早いストーリー展開も魅力的だった(特に初期のシリーズ)。当時流行っていたパソコン通信を通じての「オフ会」も企画し、このドラマをテーマにしたホームページにもあらすじを投稿していた位だ。それから10年近くが過ぎて、当時はチョイ役のレギュラーだった彼女がオスカーを獲得し(しかも2回目!)、ハリウッドの頂点にまさに立っている。その一方で本当のレギュラーたち(シャナン・ドハーティ=ブレンダ役、ジェニー・ガース=ケリー役など)は、そこそこは芸能活動は続けているものの、それ程目立った活躍はしてい。メディアへの露出度は当時が最高だったと思う。とすると収入も当時がピーク?で、ビバリーヒルズの豪邸を維持するのが大変だったりして?なんて心配してしまった。まさに浮沈の激しい人気商売は大変なストレスを与えそうで、そうすると某人気歌手のように虐待疑惑の裁判で紙面をにぎわしたりしてしまうのかもしれない。

まあオラニエ夫人との出会いのきっかけにもなった、思い出深き『Bevely Hills 90210(ビバリーヒルズ青春白書)』から大スターが生まれたことを素直に喜びたい。

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