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October 30, 2006

「自壊する帝国」を読んで

表題の本(新潮社)を読み終えた。この著者佐藤優さんという人はロシア専門の外交官。2002年に鈴木宗男疑惑に連座して逮捕され、執行猶予付き有罪判決を受けて現在控訴中。駆け出しの外交官としてモスクワに駐在していた1980年代後半からソ連の崩壊(1991年末)までを中心に、そこで出会ったロシア人(学生、政治家、軍人等)との交流や連邦崩壊の内幕を生々しい体験に基づいて語っている。オラニエ公は個人的に1991年の大晦日を旅行中のモスクワ(音楽祭)で迎えたという偶然もあり、ここら辺の内輪話には元々興味があって十分読みごたえがある内容だった。

まずこの人物のタフさには驚嘆の一言である。ウォッカを2-3本飲んでも大丈夫という強靭な耐アルコール性。ロシア人との付き合いではこれくらいの酒量がないと本音は出てこないとのこと。下戸のオラニエ公には全く無理な話だ。ロシア駐在でなくて良ーかった。それはさておき、この人は打算ではなく「裏切らない人付き合い」をとことんまで追求するタイプのようだ。信頼する人のためには身を危険に晒すことも惜しまない。リトアニア独立宣言の時も、ゴルバチョフ大統領が拘束されたクーデター騒動のときのエピソードも、文面をその通り解釈すればまさにそれを実践している。

「国益」を常に考えて判断を下すプロフェッショナリズムも大したものだ。あまり人に相談することなく外交に関わるような重大な判断をするというのは大変なプレッシャーだろう。「宗男疑惑」のことはほとんど知らないが、こういう筋の通った強力な人物が外交官として力を発揮できないというのは、国家としての損失なのではないかと思う。外交官にも「キャリア組」と「ノン・キャリア組」があるが、彼はその後者である。この入省時の違いに基づく硬直した官僚制度も不思議である。「キャリア組」を押し退けてでも活躍して、「北方領土」を初めとする外交上の懸案をスピーディーに解決してもらいたい。そう感じさせるに足る迫力溢れる一冊であった。

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October 27, 2006

やったぜファイターズ、日本一!

昨日は「石」からの解放と合わせて、オラニエ公の応援する北海道日本ハム・ファイターズが44年ぶりの日本一の栄冠を勝ち取るという、これもまた嬉しい出来事があった。思えば「石」が痛み始めたのがソフトバンクとのプレーオフ第1戦(10/11)の日で、日本シリーズの最終日まさに優勝とほぼ同じタイミングでこの「石」は排出された。これも何かの縁というか偶然なのだろうか。図らずも別の産みの苦しみを同時に味わうことになったので、喜びもひとしおである。

ファイターズのここまでを振り返ってみると、まずパ・リーグ最終戦で西武を上回ってシーズン第1位になったことが大きい。またプレーオフで相性の良いソフトバンクが相手だったのはラッキーだったと思う。もし西武が勝ち上がってきたら果たして結果はどうなっていたか分からない。日本シリーズでは想像するに中日が攻守にミスを連発して、自分の野球を見失ってしまった感がある。それだけファイターズが強くなって、札幌ドームのファンが強い後押しをしたのだろう。

それにしても長年応援してきたあの弱い(?)チームは一体どこに行ってしまったのだろう。我が家には日本語の衛星放送も入らないので、彼らのプレーする姿はもう何年もTVを通じてすら見たことが無い。だからまだあの東京ドームでのオレンジ色のユニフォームが思い出される。その頃からずっと頑張ってきた田中幸雄を初めとするベテラン選手に、特に大きな拍手を送りたい。

この日本一はそれこそ何十年に一度の快挙なので、早速「優勝記念DVD」の類をWeb上で探して購入することにした。それを見れば「札幌ドーム独特の雰囲気」なんていうのも分かるかもしれない。日本にいたら出来れば試合も見に行きたいが、その時にはまた昔のBクラスのチームに戻っていたりして。でもそれはそれで許せてしまうと思う。ずっと昔からのファンであることに変わりはないし、何しろ今年はパ・リーグ制覇&日本一になったのだから。

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October 26, 2006

「石」からの解放

ここ2週間ほど悩まされてきた「石」からようやく解放された。今日のお昼過ぎに自然に、でもズキンという痛みを伴って排出されたのである。「石」というので丸いのかと思ったら、1cmx5mm位の大きさで細長いいびつな形。首尾よく回収にも成功。自分の体の一部が失われたような一抹の寂しさもあったが、こんなものがまた暴れ出したら困り物だったので一安心だ。

この安心というのも、実は来週の火曜日に全身麻酔をして体内に管を入れて石を探し、必要に応じた処置をするような手術&短期入院をする予定だったからだ。昨日も病院に行って手術前の既往症の確認やら麻酔医との問診をしてきたばかり。そこでは慣れない医療用語を英語で聞かれ、説明に一苦労。例えば"Sugar 何ちゃら"ですか?と聞かれるとどうやらそれは「糖尿」のこと。「血液」がどうのこうのという質問は、恐らく「凝固」に問題があるのかって聞いているんだろうなあ、というような心許ないやり取りですっかり疲れてしまった。

更にこの国の医療レベルに大きな疑問と手術に対する不安が段々と大きくなっていた。というのも「どんな症状ですか?」とか「いつ頃から痛みましたか?」といった基本的な質問を、同じ病院でも人が代わるたびに何回も聞かれる。さらに「どの先生がどんな手術をするんですか?」みたいな質問、そんなの患者に聞くなよというパターンが続出。「血尿が出ますか?」と聞かれたが、先週同じ病院にサンプルを提出したばかりで結果も聞かされていない。こんな状態だったので、全身麻酔をされたらもうそのまま昏睡状態になってしまいそう、あるいは手術をしたらかえって他のところが悪くなってしまいそうな雰囲気が漂いまくっていた。

もうここでの手術を受けなくて良いということは精神的にも本当に嬉しい。今日も「石」が出た後に速攻病院に行き、レントゲンを撮り、この前の写真と並べて先生は言った。「ほらこっちにあった石がなくなったでしょう。あなたはラッキーだ。」と。でもこの同じ先生は前の写真を見たときに「石が見当たらないから、管を入れて探し出して処置をする手術が必要だ。」って言っていた。あれは一体なんだったのか???この国に居る限り「病気をしないこと」がいかに大切かを思い知った2週間であった。

病状についていろいろと心配をしてくれた皆さん、本当にどうもありがとう。元気になりました!

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October 21, 2006

ハッピー・ハロウィン!

「今日はハロウィンのお化けカボチャ作りをしたーい。」というオラニエ夫人の一声で、家の近くにある"Life & Gadren"というガーデニング・センターに出掛ける。店頭からオレンジ色の大きなカボチャがそこここに置かれていて、ハロウィンの季節らしさをかもし出している。店奥の一角が「お化けカボチャ作り工房」になっていて、自分で選んだカボチャをそこにある道具を使って好きなように加工できるのだ。

初めての体験なのでまずは係員のお姉さんを呼んで作り方を教えてもらう。カボチャを選んだらナイフで頭の部分を蓋のように切り取り、それから中身を「削ぎ器」というかヘラのようなもので掻き出す。カボチャは大きいが中が全部詰まっているわけではないので、この良く掻き取れるヘラのお陰で意外と簡単に空洞を作ることができた。

それから目鼻や口を短い糸鋸のようなものでくり抜く。この工房には目や鼻の形をしたシールが置いてあり、それを貼って輪郭に合わせて糸鋸を入れる。あるいは直接ペンでお絵描きをしてくり抜く。その昔中学校で「技術」という授業があって、そこで電動糸鋸を使って何かを作ったをしたことを思い出していた。器用なほうではないので、この科目は得意ではなかった覚えがある。慣れない工作仕事で手が痛くなりながらも、夫人のお絵描きの通り歯のギザギザも含めて何とかくり抜きを完成。最後に髪の毛に当たる草のようなものを夫人がピンで止めて終了。やったぁ、完成だ。結構カワイイお化けカボチャ君の出来上がり。他の子供たちも見に来たりしてちょっと得意げな気分。名前はなんて付けようか?

正直なところ最初はあまりオラニエ公としては乗り気でなかった。体調も今ひとつだし、我々以外は全員オランダ人のお子ちゃま連れで、子供でもあるまいに今更カボチャ作りか?という感じ。でもその工房でオランダの子供たちが一生懸命に作っている姿を見て、これはオジサンも負けてはいられないという気になり、最近まれに見る積極性を見せてナイフと糸鋸を片手に奮闘したのであった。久々に夫婦揃って子供に返れたような感じで結構面白かった。

出来上がったものは家に飾って記念撮影でもしよう。蝋燭なんかも立てちゃったりして。お会計はカボチャ一つにつき工房使用料代を含めて7.95ユーロ。このイベントは来週の土曜日も開催されているとのこと。意外と他の人にもお勧めしたい体験であった。

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_431 <お化けカボチャの出来上がり>

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October 18, 2006

オリガ・モリソヴナの反語法

このタイトルの本は以前にも紹介した米原万里さんのエッセイ「嘘つきアーニャの真っ赤な真実」の姉妹版に当たる小説である。同じ1960年代のプラハ・ソヴィエト学校が舞台になり、そこに実際に在学した友達のその後と再開を描いたのが「・・・真実」、そこの有名ダンス教師(架空)オリガ・モリソヴナのそれまでの過酷な人生を解き明かして行くのが「・・・反語法」という位置付けになる。

まずこの「反語法」って何だっけ?という疑問が湧いた。@nifty辞書によれば『修辞法の一。反対の内容を述べることによって、逆に自分の考えを相手に強く認識させる表現法。』とある。要は逆のことを言って誇張する訳だ。このオリガが多用し、その重要性は本書の最後にようやく納得が行く。内容を考えると「オリガ・モリソヴナの半生 –ソ連という時代に生きて」といったタイトルの方が、一般読者には構えられずに分かり易いのではないか。

「Bunkamura ドゥマゴ文学賞」という賞に輝いた小説だが、これはノンフィクションに限りなく近い。確かに幾つかの偶然が重なれば、この時代(1930~50年代のソ連)にこうしたことがあり得たであろうなあと思われる展開が重なり合いながら続く。ミステリー小説のような謎解きと正確な歴史背景や事件の描写が相まって、どんどんと惹きつけられる。ただこの体制と時代に翻弄された女性たちの人生の物語は、やはりある程度歴史的な事実を知っている読者の方が感じるところが大きいだろう。

チェコの外交官が大きな役割を演じることになるのだが、この小説ではKGBの手から上手く逃れている。この前読んだ「KGB」という本では、この国のある外交官は盗聴によって抹殺された。全体のこのあたり(監獄や収容所)の描写は、「雪解け」の時代という理由を付けてソフトになっているような気がする。それにしてもこのオリガの生き様には芯が通っている。こうした強靭な精神が無ければとても生き抜けなかっただろうと、架空の人物なのに実在したかのように思ってしまった。

文庫本にもなっているとも知らずに単行本を注文して買ってしまったが、それだけの価値ある一冊だった。

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October 15, 2006

こんな休日

「ER体験」のその後だが思った以上に長引いて、ここ数日は完全に病人になってしまった。

オラニエ夫人の運転する車でホーム・ドクターに行って問診、更に総合病院に行って検査などを受けていると一日があっという間に過ぎる。再び激痛に見舞われたり気分的に優れない時間が長く、家に居ても何をして楽しむということもできない。が、時折友人からの差し入れの雑誌やビデオを観て気分転換を図っている。やはり人生健康が第一だ。

そうした中で嬉しかったのは先週の木曜日に日本ハムファイターズが25年ぶりにパ・リーグを制覇したことだ。プレー・オフでソフトバンクに連勝したのだが、ちょうどそれはオラニエ公が激痛と格闘していた頃だ。長年のファンとして産みの苦しみを味わうことになった訳だが、これも何かの縁だろうか。球団のホーム・ページで試合のダイジェストの動画を何回も見る。これはW杯日本VSブラジルのゴールシーンと同じで、何回見ても良いものだ。しかも劇的なサヨナラ勝ちをしているのだから。夫人のお友達のご好意で、スポーツ新聞を何誌もゲットできたのも嬉しかった。

今日はアムステルダム・マラソンの日。マラソンといえば先月はベルリンまで見に行ったのに、今日はアムスなのにテレビ観戦。家の近くの通りがコースになっていたので、見に行って旗でも振ればテレビに映ったのに残念である。まあ長い人生こんな休日もあるのか。ブログが書けるまでの元気は出てきたので、あともう一息だ。頑張るぞ。

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October 11, 2006

ER(緊急救命室) in オランダ

とある激痛に耐えかねて家の近くにある大学病院の救急医療センターに行った。

このような場所には滅多に行く機会はないが、NHKの海外ドラマ「ER -緊急救命室」の舞台としてテレビではよく目にしている。そこでこの痛みもさることながら、オランダのERもドラマ(シカゴのカウンティ総合病院)のようになっているのか、どう違うのか実は興味ありありであった。

まずは受付。ドラマでは複数人の受付係がいてホワイトボードには患者のリストがいっぱいだが、ここでは一人の小さな受付がいるだけで、待合室もガラガラ。誰も待っていない。でもここに何人も人がいたら自分自身本当につらかったと思う。

程なく通されたのはカーテンで仕切られた治療コーナーのひとつ。全部で7-8室はありそうだが、「No.3」という所だったので、いわゆる「カーテン3号」か。そこに現れたのは中年の女性ドクターあるいは看護士。まずは挨拶の握手をして問診、血圧や体温の測定を行う。「ER」では握手をしているようなシーンはあったのだろうか。もっと深刻で急を要する患者ばかりなので、無いのかもしれない。

それにしてもこのERは静かだ。テレビのように銃創患者が出血多量で運び込まれることもなければ、救急車一台も来ない。容態が急変しようにも患者が全部で2-3人ではそれも起こらない。「頭部外傷。グラスゴースケールはXX。ヘマトクリットYY単位。」なんていう専門用語が飛び交うことはあるのだろうか。ここにいるスタッフは患者の治療よりも、包帯をはじめとする備品の補充のほうが忙しそうだ。まあそれだけオランダが平和な証拠ということだろう。

治療コーナーで検査の結果を待つこと40分以上。このゆっくりさはいかにもオランダらしい。付き添いのオラニエ夫人は手術用のナイロンの手袋や、呼吸促進用の簡易ポンプなどの備品などの「ERグッズ」に興味津々な面持ち。
最後に現れたのがきれいな女医さんでちょっとワクワク。レジデントあるいはチーフ・レジデントだろうか。でも簡単な触診の後ペイン・キラー(鎮痛剤)の処方をもらって終了だ。もう少しレントゲン写真とか撮って「ER」らしい体験もしたかったが、まあ大事に至らなくて良かった。

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October 08, 2006

KGB (新潮選書)

友人から借りた表記の本を読み終えた。読み始めてすぐに時代感覚が違うなと感じたが、原作は1982年、日本語訳もその翌年というまだ冷戦時代でKGBがアクティブに活躍していたころの本である(当時の組織図入りの解説付き)。

特に西ヨーロッパ諸国やアメリカの情報機関にいかにスパイを送り込んで浸透していたかが興味深い。例えばイギリスではMI-5やMI-6といった情報機関に浸透し、1981年には90名もの外交官や通商代表部のメンバーが国外追放になっている。西ドイツでもブラント首相の私設秘書の一人がKGBのスパイだったので、情報が筒抜けになっていたとのこと。それにしても国内外にこれだけ時間とお金を掛けて監視の目を光らせて、それに見合うだけの情報が得られたのだろうか。ホテルの部屋は盗聴器が付いていて当たり前、貿易商などの民間人を装ったエージェーントもごろごろ、チェコスロヴァキアなど東欧諸国のスパイも活用ととどまる所を知らない。この調子であらゆる官僚を維持するだけで国庫が空になってしまいそうだ。

特に興味深いエピソードに、天才ピアニストと賞賛されていたウラジーミル・フェルツマンの話がある。彼は「イスラエルに亡命できないか。」とある人に相談を持ちかけただけで、その2時間後には全てのレコード店に彼の演奏の入ったレコードを撤去するよう命令が出たとのこと。国際的に知名度のあるピアニストでも、国を裏切りそうな発言一つですぐその筋に密告され、結局1ヵ月後には全てのレコード、コンサートのポスターなどから彼の名前が消え、実質演奏家として生命の危機に瀕してしまった。(数年後に亡命したという。)

またニューヨーク駐在のチェコのカレル・ジシュカ外交官夫妻が、クリスマスに2人の子供を呼び寄せて亡命できないかと自宅で相談したことがKGBの知るところになり、程なくエージェントが奥さんを惨殺。それを発見した本人も逃亡した上で拳銃自殺をした例もある。可哀そうにこの子供達はその後どうなってしまったのだろうか。

ナチス統治下のハンガリーで10万人以上のユダヤ人を救ったとされるスウェーデン出身のラオル・ワレンバーグも、ブタペスト開放時に米ドル札を持っていたためにスパイの嫌疑を受けてソ連が逮捕。その後数十年にわたって極寒の地の収容所を行き来させられているという。(実際には数年後に獄死したとの説が強い。)

今は時代も変わってきているとは言うものの、この警察国家の名残はまだロシアを初め様々な国に残っているはずで、それを考えると背筋が寒くなりそうだ。それにしてもわずか20年ほど前には、まだこのような理不尽な巨大組織が、強大な権力とプレゼンスをもって活動していたということは驚きである。

PS. ここまで書いた後に、ロシアで反プーチンの記事を書き続けていた女性ジャーナリスト・アンナ・ポリトコフスカヤ氏が銃殺されたとのニュースを発見。KGBのDNAは今でもアクティブに活動しているのだ。

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October 07, 2006

フランス東部の旅(ブルゴーニュ&シャンパーニュ編)

ようやく今年の夏の旅行記を「旅日記」に書き上げた。もう2ヶ月以上も前のことで、本当に「夏の思い出」になってしまった感がある。旅の後半ではブルゴーニュ地方に滞在し最後にシャンパーニュに立ち寄ったのだが、この間は本当に暑い夏の日が続いていた。でも今はもうすっかり秋も深まりつつある。

ブルゴーニュ地方はワインとグルメの里で、アルザスと同じようにブドウ畑が連なり、街道沿いから街の中のいたる所にCave(ワイナリー)を見掛けた。特にワインの聖地とも言うべきロマネ・コンティの畑にたどり着くことが出来たこと、それからボーヌ近くのLadoix-Serrignyという小さな村の農家を改造したレストランの佇まいが印象に残っている。もちろんディジョンやボーヌの街のごく普通のレストランでも本当においしいフレンチが楽しめたのは嬉しい思い出だ。

この11日間での車の走行距離は2,000Kmを超え、その意味ではタフな旅行ではあったが、最後の方にはすっかりフランス好きになっている自分を発見した。これはワイン&グルメだけでなく、中世ブルゴーニュ公国や救国の戦士ジャンヌ・ダルクといった歴史を含めて、今まで気付かなかったこの国の奥深さを実感し、正直恐れ入ったからである。更には雄大なアルプスの大自然もそこにあるのだから、まさに「鬼に金棒」である。

この国にはまだロワール地方(中央部)やボルドーからアキテーヌ地方(西南部)など、まだ行ったことのない魅力的な土地がいくつも残っている。時間が許せばこれらにも足を伸ばしてみたいオラニエ公と(特に)オラニエ夫人であった。

旅行記の後半「ブルゴーニュ&シャンパーニュ編」に興味のある方は、こちら「オラニエ公の旅日記」をご覧ください。かなりの長文になってしまったことを今更ながら反省しています。

<ブルゴーニュ&シャンパーニュ編・旅程>
7月26日(水) :アルプスからブルゴーニュへ移動
7月27日(木)~29日(土) :ブルゴーニュ滞在
7月30日(日) :ブルゴーニュからシャンパーニュへ移動 ランス
7月31日(月) :シャンパンの里を訪ねて~アムステルダム

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ロマネ・コンティのぶどう

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