« November 2006 | Main | January 2007 »

December 28, 2006

ベートーヴェンの「第九」演奏会

日本の年末の風物詩とも言うべき「第九」の演奏会。今年は折角日本にいるので「第九」を聴きたいと思いチケットを探したが、毎日どこかで演奏会が開かれているのにほとんどが完売。辛うじて手に入れることが出来た東京シティ・フィルによる「第九特別演奏会」に行くことにした。

「特別演奏会」と銘打っているだけあって、演目も「第九」のみでS席8,000円という強気の価格設定。オラニエ公はB席4,000円のチケットを握り締めて会場の東京文化会館に到着すると、会場前から行列が出来ている。待ち時間に売店を覗くと、鍵盤の模様のついた「のだめ(もどき)バッグ」が売られていた。ここにも「のだめ効果」あり。

会場に入ると意外と空席が目立ち、特にS席と思しきエリアは半分位の入りで場所によってはかなり空いてしまっている。これは演奏するほうから見ると気分が乗らないだろなあと思っているうちに合唱隊が入場。左右から一列づつ緊張した面持ちで並んでいく様子をみるとアマチュアの合唱団なのだろう。

指揮者の飯守泰次郎さんは見覚えと言うか名前に聞き覚えがあった。後で分かったのだがオランダのエンスヘデ市立音楽院オーケストラの顧問をされている方で、ヨーロッパでも名を知られているらしい。そして演奏が始まったが、残念なことに指揮者が踊るほどにオーケストラが鳴らない。東京シティ・フィルと言えば一応東京のプロ・オケなのである程度きっちりとした演奏を期待していたのだが、編成人数が少ないせいか厚みのあるサウンドが出ない。頭出しとかはヨーロッパのオケ以上に合っていることは確かなのだが....。昔ブラスバンドで「綺麗な音よりもまず大きな音を出せるようにしなさい。」と繰り返し指導を受けたことを思い出した。終楽章で独唱&合唱が入って盛り上がって良かったという感じだ。

うーむ、音楽会はやはりヨーロッパで聞いた方が良いのかな。4,000円~8,000円と言えば大体ヨーロッパの普通の演奏会のチケット相場に近い。同じ金額を出してコンセルヘボウ管弦楽団やロッテルダム・フィルを聞きに行ける今の環境が、とても恵まれたものであることを再認識した。


日時: 2006年 12月 28日(木) 19:30~21:00
曲目: ベートーヴェン : 交響曲第9番 ニ短調 Op.125 「合唱付き」
ソプラノ:大岩千穂 アルト:小山由美 テノール:小貫岩夫 バリトン:久保和範
指揮:飯守泰次郎
演奏: ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団
合唱:東京シティ・フィル・コーア/混声合唱団 明響
場所:東京文化会館大ホール

| | Comments (0) | TrackBack (0)

December 25, 2006

映画「敬愛なるベートーヴェン」

オラニエ公は年末年始の一時帰国で日本に滞在中である。自由な時間が取れそうなので久しぶりに映画を愉しむことにした。オランダの映画館では「英語セリフ&オランダ語字幕」のため、肝心なところがよく分からずフラストが溜まってしまう。面白そうな映画を探していたところ表題作を発見。年末の「第九シーズン」に合わせて公開というところだろう。

「孤高の天才音楽家ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンと、彼のコピスト(写譜師)となった作曲家志望の女性アンナの師弟愛を描いた感動ドラマ。魂で結ばれたベートーヴェンとアンナの複雑な師弟愛と、迫力の“第九”シーンに注目したい。」という宣伝文句に引かれて新宿の映画館に足を運ぶ。

まず髪を振り乱した肖像画でのイメージしかないベートーヴェンの実像に触れるという意味で面白い。芸術家らしく気難しい気性、甥カールへの溺愛、コピスト(写譜師)を使う作曲の過程などをリアルに感じ取ることが出来る。そして「迫力の“第九”シーン」になるが、これは師弟関係を強める前半のヤマというところ。実は後半の弦楽四重奏曲「大フーガ」作曲の過程の方がこの映画の本題であろう。「Copying Beethoven」という原題が示す通り、アンナは作曲家志望だが楽聖ベートーヴェンのコピー以上にはなれない。「合唱つきの交響曲」を初めとする時代を先取りする創作は、神からの啓示を受けたごく一部の人間以外には不可能であるということ、この辺りの考えは「アマデウス」とダブって見える。邦題はより原題に忠実にした方が分かり易いのではと思った。

またこの映画を「フィクション」として考えれば別だが、実在の人物伝という点から考えるとどうも納得がいかないところが多い。難聴のベートーヴェンは「第九」を書く頃には筆談でしかコミュニケーションできなかったはずだが、映画では巨大な金属製の補聴器を付けて会話をしている。「補聴器を色々試したが、実際にはあまり役に立たなかった。」とウィーンの博物館ででは展示されていた。また「第九」の初演は彼ともう一人の指揮者が並んで指揮をしたと言われているが、映画ではアンナの助けを受けた彼だけが指揮台にいる。そもそも「大フーガ」って聴いたことも無いが、時代のトピックとなるような重要な曲だったのだろうか?

残念ながらこうした違和感は唐突とも思える字幕解説(「大フーガ」の後世への多大な影響とベートーヴェンの死)によるエンディングで更に強まってしまった。前半のヤマ「第九」を超えることは、映画監督がいくら頑張って盛り上げてもやはり「大フーガ」には荷が重かったのだろう。クレジットが終わるまで誰も席を立たなかったのは、みんな「あれ、これで終わりなの?」という感覚を共有していたからではないか。

結局オランダの映画館でのフラストと同じように、何となく中途半端な感覚で映画館を後にした。まあクラシック音楽を題材にした映画と言う意味ではそれなりに楽しめたし、本物の「第九」のコンサートには数日後に行くことにしているので、今日のところはこれで良しとしよう。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

December 16, 2006

「緒方貞子 - 難民支援の現場から」

この本は「国連難民高等弁務官」として活躍し、国際的に高い評価を得ている緒方貞子さんについて、インタビュー記事を中心にその活躍ぶりや考えをまとめたものである。

まずこの「・・・弁務官」というのは「国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)」のトップで、彼女は1990年代の約10年間その職務を全うした。UNHCRはその名の通り全世界に発生している「難民」の保護、母国への帰還や自立を支援する国連機関である。(詳しくはこちらのホームページを参照)

この1990年代というのは丁度冷戦による統制のたがが外れて、宗教や部族対立等を原因とする内戦が頻発して大量の難民が発生した難しい時期であった。ところがこのUNHCRは90年当時、2代前のトップがスキャンダルで辞任、先代も任期途中で退任し組織として弱っていた。ところが彼女の任期中にその活動は大幅に強化され、予算、職員数共に二倍近くにも増え、国連を代表する機関のひとつになったという。まさに同じ日本人として世界に誇るべき人材である。

彼女の活動の源泉は「怒り」だという。つまり不条理なことを目にしたり、あるべきことがそうならなかったりした場合に、それに対する感情をエネルギーに変えるという。またこの本を通じて感じたのが彼女の強い「責任感」である。90年代に難民が大量に発生した場所は、イラク(クルド難民)、アフガニスタン、旧ユーゴスラヴィア、ルワンダなど数知れないが、彼女はその現場まで防弾チョッキを着てでも視察や指導に行っているのだ。組織のトップとしてフカフカのソファに座っていることも可能だっただろうが、そこを敢えて銃撃や地雷、伝染病などの危険を承知の上で行動に出る。これはまさに責任を全うしようとするものでなくては出来ないことだ。

更には現場での必要性から今までの「枠」に捕らわれない新しいタイプの支援策をギリギリの決断の中から打ち出して行く。前例にない活動をして更にその責任は自分が負うという姿勢は、「現場主義」という彼女のモットーと合わせて企業のマネージメントの手本にもなる

オラニエ公は90年代に難民が大量発生したボスニア=ヘルツェゴヴィナのモスタルという街に行ったことがある。そこはイスラム教とカトリック、セルビア正教の3者が泥沼の内戦を繰り広げたところで、昨年行ったときにも銃痕の残る建物が立ち並び、表面的には平和そうだったが、実際にはまだ対立感情が消えないという。UNHCRはここで発生した難民の保護や帰還だけでなく、今後の共生に向けてこの3者が共同して経済的に自立できるようなプログラムを走らせている。これは「ボスニア女性イニシアチブ」といって、戦争中に家族を失ったそれぞれの女性たちが分担してお土産の人形を作ろうというプロジェクトで、UNHCRは人形作りに必要な毛糸やミシンを支援していると言う。こういうソフト系の発想も彼女ならではの成せるわざであろう。

いまここでは平和な生活が出来ているが、難民をはじめUNHCRの支援対象になる人達は全世界で1,900万人以上にも達する。また「難民」というとアフリカやアジアをまず想像するが、実は身近なヨーロッパだけでも400万人以上もいる(数字はUNHCRのHPより)。緒方貞子という日本を代表する女性の信条とそれに基づいた活躍を知るだけでなく、まだ平和とは決して言えない世界の実情を理解する上でも役立つ一冊であった。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

December 10, 2006

ワーグナーの楽劇「トリスタンとイゾルデ」

エッセンのクリスマス・マルクトを後にして向かったのが、著名なフィンランドの建築家の名前を取ったアールト劇場(Aalto Muziktheater)。1988年オープンの近代的な建物で、白色を基調にしたロビーも広くて感じが良い。来ている人たちもクリスマスシーズンも重なってかおしゃれな感じで皆三々五々集ってシャンパンなどを片手に楽しそうに談話している。大人の社交界という感じの雰囲気がこれからの演奏会を盛り上げてくれる。

Dsc02406
<アールト劇場>


この楽劇「トリスタンとイゾルデ」はワーグナーの大作で、3幕合わせた演奏時間は3時間45分。公演開始が18:00で、2回の休憩を挟むと終了は23:00という長丁場である。有名な「前奏曲と愛の死」以外は全く聞いたことが無いので、ネットであらすじを一通り勉強し、プリントアウト片手にやって来た。舞台上方の大きな字幕板にはドイツ語が表示され、満員の聴衆で歌詞を理解できないのは我々2人だけ(?)という厳しい状況にもめげず、音楽そのものに集中しなくては。

前奏曲が始まって気がついたのが、オーケストラのレベルが高いということ。オペラ座の管弦楽団というとどうも今ひとつというイメージがあったが、ここはエッセン・フィルハーモニーという独立オケがピットに入っている。指揮者兼劇場の音楽監督を長年務めているゾルティシュはピットに登場する度に大きな喝采で歓迎されていたので、この街の名士と言ったところだろう。若干管楽器にばらつきはあるものの官能的なメロディーを歌うように次々と奏でて行く。

演出で面白かったのは、ほぼ三幕とも約3mを一辺としたキューブ型の部屋の一室を模したセット内のみで劇が展開したこと。大掛かりな仕掛けはない。第二幕ではこのキューブそのものが何回転もするという大胆なセットの動きにはビックリした。最初の「天井」が「向かって右の壁」、更には「床」、「左の壁」になってまた「天井」という具合にゆっくりと回るのだその動きにあわせて主役の二人も歌いながら移動していく。ストーリーとしては二人の道ならぬ愛とその先に待ち受ける必然としての死を描いているので、そのめくるめく愛のある意味倒錯した世界を表現したかったのだろう。

8_2_1159_1978
<回転する舞台(劇場のHPより引用)>


それにしてもこの楽劇は長い。登場人物が少なく「タンホイザー」のような合唱の場面もない。とりわけトリスタン役の人は第二幕以降はほぼずっと歌いっぱなしでテノール歌手泣かせと言われるだけあって大変そうだ。第三幕では瀕死の重傷を負った割に元気なトリスタン。最後はパンツ一丁になって息絶えるまでの熱唱と熱演に拍手。音楽では「前奏曲と愛の死」に集約された幾つかのテーマが、全体の流れの中でキーのモティーフとして美しく場を盛り上げていく。その行き着くところが最後のイゾルデによる「愛の死」の歌。本当に綺麗でトリスタンの亡き骸に寄り添って亡くなるエンディングには思わず涙が...。さすがに二幕の後半と三幕の前半では見る方として少し集中を欠いてしまったが、3時間45分を長くは感じさせない濃い演目を楽しむことが出来た。

日時: 2006年 12月9日(土) 18:00~22:55
演目: ワーグナー: 楽劇「トリスタンとイゾルデ」 (1865年初演)
主な配役: イゾルデ:Evelyn Herlitzius、トリスタン: Jeffrey Dowd
指揮: Stefan Soltesz
演奏: Essener Philharmoniker
(詳細は こちらのHPを参照のこと。ページ右の"Szenefotos"に舞台の写真もあり。)

| | Comments (2) | TrackBack (0)

December 09, 2006

クリスマス・マルクト in エッセン

オラニエ夫人は大のクリスマス・マルクト好き。いつもこの時期になるとドイツのどこかの街に出かけようということになる。今年は評判の高いシュトゥットガルトに電車行こうとしたが、予想以上に時間とお金が掛ることであっさりと断念。その代わりここからの比較的近場のエッセン(Essen)に行くことにした。デュッセルドルフよりも近いのだが、途中渋滞にはまって所要約3時間で到着。

この街のマルクトは"Internationale"という名前が付いた大きいもので、中央駅前から中心の広場まで何箇所かに分かれてマーケットがあるようだ。
まずは腹ごしらえにドイツならではのソーセージ・サンドと、ザワークラフトのマッシュルームと豚肉の煮込みを屋台のひとつで注文。特にこのザワークラフトの煮込みはいける。寒い国だけあって塩味たっぷりの味わいが特徴的だ。

Dsc02408
<サンドウィッチと煮込み>



ふと気がつくとオラニエ夫人は屋台の目の前の大型デパート「K」に吸い込まれて行った。お目当ては地下のスーパーマーケットで、オランダでは見られない豊富な品揃えの中での買い物をお楽しみか。一時帰国のお土産をゲットして満足のようだ。「金曜日は22時まで営業」なんて書いてあったが、ここ数年でドイツの店の営業時間は格段に伸びたような気がする。この辺はオランダも少しは見習って欲しいものだ。

夕方になると電車から吐き出される人たちが加わって、マルクト周辺の目抜き通りは歩行者天国のラッシュアワー状態だ。メイン会場のKenndedy Platzにようやくたどり着くと、早速オラニエ夫人は好物の「焼き栗」3ユーロ分を購入。買うときに思わず「ドゥリー・ユーロ」とオランダ語で話してキョトンとされる。おいおいここはドイツでオランダ語は使わないほうが身のためだぞ。

しかし肝心のショッピングではお目当ての木製のクリスマス人形を扱っている店が思ったより少なくて、これが欲しいというものには残念ながらめぐり会えず。やはり昨年のベルリンやその前に行ったウィーンの方が大都会でもあったせいか質・量共に品揃えが充実していた。でも折角ここまで着たので、グリュー・ワイン(ホット・ワイン)片手にチュロス(棒状の揚げ菓子)を頬張ってドイツのクリスマス気分に浸ることができた。

Dsc02417
<湯気の立つグリューワイン>



それも束の間、今夜はこの街の劇場でワーグナーのオペラ「トリスタンとイゾルデ」を見ることになっている。ワインを飲み過ぎると途中で眠ってしまいそうである。すっかり日も落ちて開演時間も間近になって来たので、足早にマルクト会場を後にした。

Dsc02424
<中央駅前のイルミネーション>

| | Comments (0) | TrackBack (0)

December 03, 2006

ドラマ「のだめカンタービレ」

最近音大のオーケストラを舞台にした表題のコメディー・ドラマを見ている。以前からマンガが出ていることは知っていたが、元ブラス・バンドのクラシック・ファンであるオラニエ公としては色々な角度から興味深く見ている。

まずはテーマからBGMまで全てクラシックの名曲が使われているところが嬉しい。ベートーヴェンの「第7」、ラフマニノフのコンチェルト2番など、オラニエ公が好きな曲が多い。またBGMにもチャイコフスキーやプロコフィエフ、シベリウスなどが多用されていて、それがその場の状況にマッチしている。意外とクラシック音楽も「使える」ものだと言うことを再認識した。

俳優さんの演奏シーン(ピアノやバイオリン)も、まさに本当に弾いているように見える。これは結構訓練の要る話だと思うので感心だ。オーケストラもどこまでが俳優さんでどこからが本当の演奏家なのか分からないが、見ていてとても自然に写る。プラハの指揮者ビエラ氏は、チェコ・フィルの主席指揮者ズデネク・マカルが「タマゴッチ!」なんて言って実際に演じているのも面白い。

その一方で不自然な箇所も目に付いてしまう。例えば「Sオケ」の演奏中に楽器を高々と持ち上げたり、一回転させたりするシーンがあるが、あれでは音程が不安定になって余程上手い人でなければ曲が乱れてしまう。また1週間で本番というスケジュールは学生オケにはあり得ないだろう。防音が施してあるはずのホールや練習室から音が外に漏れまくっているし、「手先が命」の演奏家は殴ったり飛んだりとかそういう動きはしないはずだ。怪我をしないか見ているほうがついつい心配になってしまう。まあマンガのドラマ化だからある程度致し方ないが、CGとかもあまり極端にやらなくても良いではと思う。

ストーリーとしては、貧乏学生が出てくる辺りでは??という感じだったが、回を追うにつれて「オレ様」指揮者の苦悩と成長が軸になってきていることが明確になってきた。「のだめ」の秘められた才能が開花するのかも注目だ。まだ第6話までしか見ていないが、年末という事もあってベートーヴェンの「第9」でも登場してくるのかもしれない。
これからも興味深く、楽しく見てみたいと思わせるドラマである。

| | Comments (7) | TrackBack (0)

December 02, 2006

「ワインと戦争」

先週ここで日本人を対象にした「ワイン・セミナー」が開催され、盛況のうちに終わったようである。今この平和な時代のセミナーでは各国のワインが紹介されていたようだが、フランスのワイン農家は第二次大戦中にドイツの占領の下、数知れぬ艱難辛苦を経験させられた。我が家のワインご指南役の友人の薦めで読んだ表題の本には、その時代の人々の生き様が語られている。

副題は「ヒトラーからワインを守った人たち」となっているが、お酒を飲まなかったヒトラーよりもゲーリングを初めとするナチス幹部の命令の下、戦場の兵士や占領軍が様々な形で何千万本ものワインやシャンパンを徴発して行った。緒戦であっけなくフランス軍が降伏すると、ドイツはフランスを代表する文化でもあり心でもある「ワイン」に目をつけて、それをタダ同然にでも入手して楽しむと同時に、商売をして儲けようと思ったのである。

ところがこのドイツ軍の企みは色々な形での抵抗に遭い、当初の期待ほど上手く行かない。文化を守ろうとするフランスの農家の行動は素朴であり巧みでもあった。例えば、

- ワイン倉の壁を塗りつぶしてワインを隠す。
- 質の悪いワインに高級ブランドのラベルを貼ってドイツに送る。
- 地下のワイン倉庫にユダヤ人をかくまって国外に脱出させる。

というなことを次々と危険を冒してでも行なわれたら、どう見ても占領している側の方の分が悪くなる。しかも迷路のような地下のワイン倉庫は、レジスタンス活動にうってつけの場所である。

収奪を効率よく行なうためにドイツからフランス各地に派遣された「ワイン総督」は、元々事情に通じた同業者であり戦後の商売のことも考え、100%ナチスからの指令に従った訳ではなかった。その一方で戦後に対独協力者として裁判にかけられたワインのネゴシアン(仲買人)もいる。この辺りの国と国との対立とワインというビジネス&文化に対する個人の心情との関係が特に興味深い。

実際に出征したワイン農家出身の兵士の話、特に捕虜収容所でのワイン・パーティの話は感動的だった。年間一人100リットル以上のワインを飲む時代で、数年間の虜囚生活を経てようやく一人一杯のワインを手にした時の感激はいかほどのものだったろうか。

こうした先人達の苦労の上に現在のワイン産業や文化が花開いている。ワインの味は如何に出来上がるまでの工程に愛情を注ぐかによって決まると言う。それは今作っている人の愛情だけではなく、歴史上の名も無い人たちの努力の積み重ねでもあるということが認識できた一冊だった。

| | Comments (2) | TrackBack (0)

« November 2006 | Main | January 2007 »