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January 28, 2007

伝説のカンタービレ

今や日本のみならず、世界に散らばる日本人もハマっていると思われる「のだめカンタービレ」。ドラマは昨年のうちに終わっているのだが、我が家でもまだまだホットである。例えばオラニエ夫人は毎日のようにブラームスの交響曲第1番(通称:ブラ1)を聞きながら家事をしているし、最近買ったYo-Yo-MaのCDのドヴォルザークのスラブ曲ホ短調、「これって『のだめ』でよく流れていた曲だね...」みたいなパターンが多い。

そこで改めて「のだめ」でメジャーになった曲のCDを見てみると、実は我が家にはその伝説的な名演奏があることに気がついた。まずは「のだめ」のテーマ曲ベートーヴェンの交響曲第7番(ベト7)では、カルロス・クライバー指揮バイエルン国立管弦楽団の1982年のライブ録音を入手。これは巨匠カール・ベームの追悼演奏会という特殊な場での演奏ということもあってか、かなり躍動的で飛んだ演奏を聞くことができる。途中でオケが乱れることもあるが、それでもフィナーレに向けて突き進んで行くスピード感とパワーは凄い。

これについては「しんいちろう様」のブログにも書かれているのでご参照ください。このCDのものではありませんが、クライバーが指揮するライブ映像も見られます。

一方「ブラ1」はキリル・コンドラシン指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団による1980年のこれもまたライブ盤である。クライバーの「ベト7」程一般的な評価は高くないが、ロシア東欧モノ好きのオラニエ公としては、西側に亡命した旧ソ連の大指揮者コンドラシンと、今の地元アムステルダムの名門オケというカップリングが堪らない。彼は亡命後わずか3年で惜しまれつつ不帰の人となったが、この録音はその死の1年ほど前の公演である。旧ソ連のオケに共通した中低音金管がうなるようであり、それでいて西欧風の上品さも保っている名演である。フォルテの迫力は満点だがそれでいてフィナーレの歌うような主題はとても優雅で美しい、そういうメリハリのある演奏だ。

偶然かこの2枚とも約25年前のライブ録音であり、クライバーやコンドラシンも今や往年の巨匠に位置付けられつつある。更に一昔前のトスカニーニやフルトヴェングラーの演奏もそうだったが、特に「ライブ録音」は観客がいる臨場感から余計その時代背景や緊張感が伝わってくる。しかもそのオケと指揮者の組み合わせは一度きりだったり、戦争や追悼公演というような特殊な事情があったりして、そこから「伝説の名演奏」が生まれるのだろう。これからもこうした名演のCDを聞いたり、あるいはまさにその場で聞きたいものである。


参考までに紹介したCDの詳細を書いておきます。

ORFEO : C 700 051 B (オーストリア製:購入価格18.90Euro)
ベートーヴェン:交響曲第7番 イ長調 Op.92
カルロス・クライバー指揮 バイエルン国立管弦楽団 1982年 5月3日ライブ

フィリップス : PHCP-9242 (日本製:1,450円=現在品切れ中)
ブラームス:交響曲第1番 ハ短調 Op.68, 1980年 2月29日ライブ
メンデルスゾーン:交響曲第4番 イ長調 Op.90 「イタリア」, 1979年 11月17日ライブ
キリル・コンドラシン指揮 アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団

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January 27, 2007

「9・11の謎 -世界はだまされた!?」

最近ブッシュ大統領の「イラク政策」の袋小路が話題になっていることもあり、久しぶりにアメリカに目を向けて表題の本を読んでみた。この本は「9・11」の飛行機によるテロについての「公式見解=イスラム原理主義者によるハイジャック」に疑問を投げ掛けている。「実はビン・ラディン一派とアメリカ政府が地下で繫がっていて、敢えてテロを積極的には防がなかった。」というこの本の結論にはどうも無理があるようだが、個々の事件についての疑問点については「ひょっとすると?」なんて思わせるものが多い。

例えば「ペンタゴンに突入したのはB757ではなかった。」という話は昔テレビでも見た覚えがある。ペンダゴンの建物には旅客機が激突したとは思えない小さな穴しか開いておらず、救助に行った救急隊員も機体や遺体らしきものを発見できなかったという。監視カメラのビデオ映像も何故かFBIが押収したまま公開していないし、救急隊員も何故か何を見たのか口をつぐんでいるとのこと。

また乗客の英雄的な行動で標的(ワシントン)に到達できずにピッツバーグ郊外に墜落したUA93便も、実はF16に撃墜されたのではないかという話も紹介されている。確かにフライトレコーダーが回収されているにも関わらず公開されておらず、最後の3分間は記録されていないというおかしな話がついている。また墜落機の状況や周辺住民の目撃談も、戦闘機の存在をにおわせている。

その他WTCに入居していた金融機関やハイジャックされた航空会社の株式だけが、前日までに異常な「売り」の値を示していたという「インサイダー取引疑惑(直後に大暴落)」や、行方不明とされたWTCに激突した飛行機のブラック・ボックスが実は回収されているらしい(実はかなりの事故でも回収可能)など、怪しい話ばかりが次々と紹介されている。

このような「公式見解」に対する疑問というのは、実は歴史上の大きな事件に意外にも付きまとっている。例えば「ケネディの暗殺」はオズワルドの単独犯ではなかったと考える人は多いだろう。また最近では「ダイアナ元王妃の交通事故」も、未だに真相はハッキリしていないようだ。日本でも御巣鷹山の日航機事故も「公式見解」では辻褄の合わない点が多く、自衛隊の関与等の諸説が出回っている。更に大きな話としては「ナチス・ドイツによるユダヤ人虐殺は無かった。」というような説もある。

この「9・11」についての説を信じるかどうかは別として、こうした歴史上の「異説」に関心がある人には興味深い一冊である。

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January 15, 2007

「人は見た目が9割」

ベストセラーになっている表題の本(竹内 一郎著・新潮選書)を読み終えた。「見た目が9割」というタイトルからは、いかにして見た目をカッコ良くできるかというのポイントが書かれている実用書かと思ったが、「言葉以外」のノン・バーバル・コミュニケーションについての面白い入門&エッセーである。まず前提として人が受け取る情報のうち「言語」はわずかに7%でそれ以外の「顔の表情」「声の質やテンポ」といった部分からが93%にもなるという理論が紹介されている。ようは同じ台詞を喋っても、その人のルックスや態度、感情の方がよっぽど重要であるということ。まあ会社でも同じ命令もその言う人によって「よし、頑張ろう。」となるか「またあんなこと言っているよ。適当にやって置くか。」という風に違って受け取られることはよくある。そうなると結局は人格の話かと思ってしまうがそうではない。この筆者は漫画の心得もあり更に舞台の演出もしているというその道のプロで、「あの人はできる」というよう事前の観念のない「舞台」や「漫画」という客観的な場でのコミュニケーション論を展開している。

人の行動の中で嘘をつかない順序で行くと「言葉」は7番目の最後で、その前に「ジェスチャー」や「仕草」などが並んでいる。つまり言葉づらで嘘をつくのは簡単でも、その瞬間に意味も無く手を揺らしたりおどおどとした表情になりやすい。舞台では逆にその習性を利用してわかり易く演技させるのである。

そこで面白かったのは例えば「浮気」等で嘘をつくときの男女の差。「男は嘘をついた時、目をそらす。やましい気持ちが目に表れる。」ところが「女が 嘘をついたときは相手をじっと見詰めて取り繕おうとする。」確かにそういうものだと納得できるが、結果として一般的に男の浮気の方はばれ易いとのこと。オラニエ公を初めとする男性諸氏はきっとじっと見詰められた上で簡単に騙されてしまうのだろう。まあ「知らぬが仏」という言葉もあるし.....。

それから重要なのが「間」である。「間の読めないヤツ」とか「間の悪い人」というのは存在する。オラニエ公も宴席や会合でそうならないようにしているのだが、あまり意識すると却って逆に出てしまいなかなか難しい。舞台の台詞や漫画でも、途中に大なり小なり間をおくことで沈黙が発生し、「あれこの後どうなるの?」というような形で聴衆のアテンションを引き出してより印象に残るという。まさにこれは会社のプレゼンテーションで単調なものの言い方では、たとえ内容が正しくても誰も覚えていない(そうでなくても忘れることは多いが)ことになるのに通じている。

その他にも情報をより分かり易く伝えるための「色づかい」、その人になりきるための「衣装・コスチューム・制服」、円滑にコミュニケーションを図るための「行儀作法」、シチュエーションに応じた「人と人との距離、位置関係」など、様々な「ノン・バーバル」な要素が重なってコミュニケーションが成り立っているということが、漫画や舞台を初めとする実例を通じて面白く紹介されている。「見た目(=言葉以外)が9割」ということで、普段自分では「正しいことを言っている。」と思っていても、実際には意識していない様々な要素によってそれが本当に伝わっているのかどうか実は非常に怪しいという大事なことを、十分に認識させられた一冊であった。

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January 01, 2007

「オペラ座の怪人」 in 東京

2007年は正月元旦からお出掛け。チケット入手が難しいと言われている劇団四季の「オペラ座の怪人」を見に行くのである。数日前に年末で混雑していた池袋の繁華街にあるチケットショップでペア券を偶然にも発見。年明け早々アムスに帰る身には、まさに「これを見てから帰りなさい。」と言わんばかり。しっかり者のオラニエ夫人が調べたら幸いなことに定価だったので早速ゲットしたのであった。東京での公演は3月で終了なのでラッキーである。

会場は汐留の電通劇場「海」という所だが、汐留界隈が開発されてから一度も行ったことが無かったので早めに会場に到着。会場は満席。ロンドンで見たときと比べて女性客の割合が多いようだ。日本ではミュージカルの人気は女性が支えている形なのだろうか。休日の公演のせいか女の子を連れた家族も多く、ロンドンのようにカクテルドリンク片手に客席に座っている人はいない、というか飲み物の持ち込みは不可。さすが日本はお行儀が良い。

ミュージカルそのものは言葉が日本語である以外は、舞台装置からストーリーもほぼロンドン公演と同じ。いきなり「落札!」の台詞で始まり、大音響の音楽とともにシャンデリアが大きく揺れながら天井まで持ち上げられていよいよスタートだ。パイプオルガン調の序曲に堪らなく引き付けられる。この前は英語が聞き取りずらくて進行が理解できなかったが、その後に映画版も見て事前の準備は万端。歌も台詞も日本語なので、「ああ。こういうことだったのか。」という風に納得しつつ舞台は進む。

劇団四季のレベルの高さは事前にオラニエ夫人から聞いていたが、やはりファントム(怪人)役の高井治さんという人が歌、演技ともに飛び抜けて上手いような気がする。映画・英語でのファントムは時にはダミ声でロック調イメージを持つが、このファントムは声も澄んでいて迫力もあるぞ。優しく包み込むような演技ぶりにオラニエ夫人も感心している。それから脇役だがジリーの娘役の女の子の澄んだ声も印象に残った。これから段々と主役をこなして行く様になるのだろうか。

ひとつ気になったのが台詞と歌の和訳である。例えば前半の「Think of me, think of me fondly, when we've said goodbye.」 というヒロインの有名なアリアも「どうぞ、思い出ーをこーの胸に」と単純化され、終盤の差し迫った状況で「Past the point of no return」という所も「後に引けーない」とあっさり気味。致し方ないことではあるが、英語の台詞の方が韻を踏むこともできるし響きが美しい。

最後のファントムの消え方はオリジナルと違った気がしたが、3時間という時間を感じさせないほどあっと言う間に舞台は終幕。やはりオペラと同じで生の役者さんがでも目の前で演じているミュージカルは迫力がある。これで「オペラ座の怪人」ほぼ完璧に理解できたので、次はロンドン公演をもう一度見てオリジナル版の良さも再確認したいと思いながら汐留を後にした。

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